おねぇちゃんの毎日と将来… (2)
小3の秋、入院して学校に戻る練習をすることを決め、入院施設のある病院に転院しました。
学校に戻るというのは娘の強い希望。
“学校に行きたいのに、行けない。゚(゚´Д`゚)゚。”
毎日泣いていた。
子供の総合病院にやってきた。
綺麗で、大きいね~。
お店やカフェもあるね(^-^)
院内学級じゃなくて、学校があるらしいよ。
耳の手術で入院したときとは違うのかぁ。
プールも体育館もあるよー。
学校に行けるようになるといいね。
期待と緊張で、親子でドキドキ。
診察を受け、入院もかなりの待ちがあることを聞き、ちょっとガッカリ。でも、ベットの空きと重症度で順番が決まるから、まだいつから入院かわからない。
いつ電話がきてもいいようにして帰宅。
その間も、どうにか家族で乗り切った。
そして、ついに電話が来た!
予定より2ヵ月早く入院できそう。ただし、月曜日に来られないと、また待ってもらわないといけないとのこと。
いろいろな予定は全てキャンセルして、病院に向かった。
診察室で一旦娘と別れた。と思ったら、そこからもう離ればなれの入院生活。用事が終わったらママに会えると思っていた娘も、後からママに会えないと聞き号泣した様子。
私もほっとした気持ちと罪悪感で、なんだかよくわからなかった。
ここから半年。入院生活を送ることになった。入院生活については、またそのうち書こうかな。
退院後は、私と離れて、適応指導教室で過ごせるようになり、いつの間にか、家からバスに乗って一人で毎日通えるようにまでなっていた。
絶好調…だったんだろうな。
6年生の春、念願の学校に復帰した。
みんなと学校。
3年ぶりだった。
ただ、学校のハードルは高かった。
体調は毎日悪くなり、とうとう家から外に出られなくなった。
今は、週一度のコミュニケーションの教室以外は外に出ない引きこもり生活。近所のスーパーも無理。
私は学校に行かせたことを後悔。
もうすぐ中学進学について決めないと。
困ったな…
身体障害、知的障害もない精神障害の子供は通常学級に行くしかない。情緒学級(コミュニケーションの教室)は週1回。せめて、固定学級があれば先生の理解と協力で通える子供たちはたくさん出てくるかもしれない。
今は、1日過ごせる情緒学級も、来年から2時間程度になってしまうようだ。現場の先生方も頭を悩ませている。支援が必要な子供はたくさんいるのに。
長女はフツーの学校の先生には普通の子供に見えてしまう。頑張って学校に来れば終わるまで皆といられるでしょ?って。
先生、それは無理でしょ。
無理、帰りたいって言えないだけ。
気づいてください。
受け入れ体制も整っていなくて、娘が登校したら、誰が面倒見てくれるの?教員の人数が足りないから、個別は難しい…なら、私が受け入れてくれるところを探すから、学校は放っておいてくれ。そんなふうに考えてしまう。
どうなるのか。
つづきは進学相談が始まってから。
また書きます。